大判例

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札幌高等裁判所 昭和31年(う)336号 判決 1957年3月23日

控訴人 検察官 樽井芳雄

被告人 青木清こと近納潔

弁護人 石坂健一

検察官 沢井勉

主文

原判決中有罪部分を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

押収してあるクローム側腕時計一個(原審昭和三一年領第一二号の八)は立浪与七にこれを還付する。

理由

本件控訴の趣意は、検事荒井健吉作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人石坂健一提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

右控訴趣意第一の(一)(事実誤認)について

原判決がその判示第一の(一)および(二)の各罪となるべき事実の関係証拠として挙示する各証拠ことに被告人の検察官に対する第二、三回各供述調書をよく検討し、さらに当審において取調べた証人立浪与七に対する証人尋問調書および検証調書の各記載や被告人の当審公判廷での供述を参酌して考察すると、被告人は、昭和三〇年七月一九日頃秋田刑務所を出所した後漁夫生活やかつぎ屋などをしていたが、同年九月三日北海道足寄郡足寄町にある実父源次郎方に落着き、同月一四日まで同町の宮川孫市方の農業労務者として通勤していたところ、そこの仕事も終つて孫市の紹介で他に住込稼働することになつたものの父やその内妻佐々木ヤスヱから夜具や炊事道具すら貸与して貰えず、とかく邪険に扱われるのに煩悶したあげく、実家への帰途、たまたま知り合つた農業立浪与七の妻きぬ(大正九年三月三〇日生)に対する邪恋の情が燃えあがり、きぬが病身のためかねて女の労務者の雇入れを希望し、被告人においてこれを世話してやるといつていたのをよいことにして、この際雇女を世話するという口実を設け、その前払賃金名下にこれを持参させておびき出し、口説き落して駈落しようと図るに至り、同月一六日十勝郡浦幌町の与七方を訪れ、同人やきぬに対し、本別町に適当な雇女がいること、賃金は二箇月五、〇〇〇円でよいが前払いして欲しいことなど、いずれも虚構の事実を申向けて同人等を信用させ、翌日きぬとともに女の家を訪ねることを約束させることに成功し、翌一七日右約旨に従つて出てきたきぬを池田駅ホームに迎え、二人で網走本線に乗車して足寄駅で下車し、同駅前から阿寒方面へ通ずる国道を通つて同日午前一一時三〇分頃同駅の東方約二キロの距離にある足寄川堤防用地まで誘い出し、同川畔においてはじめて自己の気持をとおすためその経歴や前科のことまで一切打ちあけて「貴女のためならどんな苦労でもするからどうか一緒に逃げて呉れ」と無暴にも執拗に駈落を迫つたところ、きぬが事の意外に驚愕しながらもきつぱりこれを拒絶し、到底自己の邪恋が達せられないとみた被告人は、そのままきぬを離すこともならず、あてにしていた所持金を得られず、自暴自棄となり、にわかにきぬを殺害してその金品をも強取してこの場を立ち去ろうと決意するに至るや、突嗟に腰に下げていた日本手拭を抜きとりざま、これをきぬの頸部に巻きつけ顎下辺りで両拳を交叉して絞め上げ、きぬが力つきて仰向けに転倒するやさらに馬乗りとなつて、渾身の力を振つて絞めつけ、失神状態となつたきぬを同所川岸の水中に放置して窒息死するに至らしめたうえ、きぬの所持していた現金約七、〇〇〇円および腕時計一個を強取した事実を認定することができる。被告人は、原審ならびに当審において強盗殺人の犯意を極力否認するのであるが、この供述ならびに右認定と異なる被告人の各供述部分は前掲被告人の検察官に対する各供述調書や立浪与七の供述調書の内容に照し、真実をのべていないものと判断せざるを得ないのであり、他に右認定をくつがえすに足る証拠がない。そして原判決における事実認定によると、被告人は、(一)立浪きぬが自己に好意を寄せているものと信じ込み、きぬに対する恋慕の情が燃えあがり、かねてきぬがその病身のため女の労務者を雇入れたいことをもらしており、被告人においてこれを世話してやるといつていたことから、これに口実を設けて前認定の経緯できぬを前記足寄川堤防用地に連行したうえ、同川畔においてきぬに対しはじめて自己の真意とその経歴および前科を打ちあけ「貴女のためならどんな苦労でもするからどうか一緒に逃げて呉れ」と執拗に駈落を迫つたところ、きぬは驚愕しながらもきつぱりこれを拒絶したうえ、被告人から逃れ去る一策として「これを私の片見と思つて持つて行つて呉れ」といいながら腕にはめていた夫与七のクローム側腕時計をはずして被告人に渡そうとしたが、今まできぬにすべての希望をかけていた被告人は失望落胆のあまり、川淵に向い茫然として歩み出したりするうち、前科まで打ちあけて懇願したのにすげなく拒絶されたことにいきどおりを感じ、かつ前途の光明を失い、失意と、ひがみと劣等感に全く自暴自棄となり、突嗟にきぬを殺害してうつ憤をはらそうと決意するや、腰に下げていた日本手拭一本を抜きとりざまきびすを返してきぬの傍に赴むき右手拭を両手に握り、これと向い合い、その後方から頸部に巻きつけ、前認定のようにしてきぬを窒息により死亡するに至らしめて殺害の目的をとげ、(二)右犯行後、ついでにきぬの金品を持逃げして逃走の費用にあてようと考え、同川畔においてきぬの所持していた現金約七、〇〇〇円および前記腕時計一個を窃取したというにあるが、被告人は前認定のように立浪きぬを犯行現場に誘致して同所ではじめてきぬを殺害したうえ、その所持する金品を強取しようと決意してこれを実行したものであつて、被告人の金品奪取の犯意はきぬに対する殺害行為が完了してから生じたものとは認め難いのである。弁護人の答弁中これと異なる所論はにわかに賛同し得ない。してみると、被告人の前説示の如き所為は法律上強盗殺人罪に認めるを相当とすべく、したがつて、原判決はこの点において判決に影響をおよぼすことが明らかな誤認があるといわなければならないから、論旨は理由がある。そして右事実は他の原判示有罪事実とともに刑法第四五条前段の併合罪の関係において裁判せられたのであるから、原判決中有罪部分は全部破棄を免れない。

同第一の(二)(事実誤認)について

原判決が本件公訴事実中被告人が立浪きぬを殺害した後その死体を約一二米運搬して附近の足寄川水中に投棄したとの点につき、その証明がないとして無罪を言渡していること原判文に徴して所論のとおりである。しかし、刑法第一九〇条にいわゆる死体たるには心臓の鼓動が完全に停止した後のことに属し、仮死状態にある者は本条の目的物ではないと解すべきところ、被告人がきぬの首を絞めて失神状態におとし入れた後足寄川畔までその身体を運び同川中に放置したことやその死因が窒息死であることは前段説示のとおりであるが、原審証人斎藤銀次郎の証言によれば、前説示のように被告人によつてきぬがその頸部を絞扼された後、呼吸道閉塞、意識混濁の仮死状態を経て心臓の鼓動が停止するまでの所要時間は約七分ないし一〇分であつたことがうかがわれるのであつて、被告人の前記放置行為が右時間を経過した後になされたものと認めるに足る証拠はなく、かえつて、前段掲記の各証拠を総合し、本件犯行の日時、場所を考慮すると、被告人がきぬを前記川中に放置したときは、少くとも右時間経過の寸前であつて、いまだ仮死状態の域を脱していなかつたものと判断せざるを得ないから、前説示に照し、本件にあつては死体遺棄罪を構成する限りではない。してみると、右と同一趣旨に出て本件公訴事実中死体の遺棄の点につき無罪を言渡した原判決は相当であつて、これと異なる見解に立つての所論は採用し得ない。この点の論旨は理由がない。

よつて、その余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断は省略し刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決中有罪部分を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い本件被告事件中右部分に照応する分につき、さらにつぎのとおり判決する。

当裁判所の認めた罪となるべき事実およびその証拠は、原判示第一の(一)および(二)を

被告人は、幼にして家庭に恵まれず、その長ずるにおよんで農家の労務者として住込稼働しているうち、召集を受けて内蒙に派遣され兵長の階級に進むところがあつたが、除隊後は内地に職を求め、軍需工場や大森捕虜収容所などで働き、その間、妻よねと婚姻し、昭和二〇年一一月長男清松をもうけたのであるが、あたかも長男出生の日、かつて勤めていた収容所における捕虜虐待の容疑でC級戦犯として連合軍巣鴨刑務所に拘禁された。しかし昭和二二年三月無罪の判決を受けて釈放されるに至り、その後水戸市や東京都などで自動車運転の業務に従事しているうち生活に窮したはて、窃盗、詐欺等を犯して刑務所生活をくりかえすようになつたので、妻にも愛想をつかされて昭和二五年一一月に離婚し、長男の養育も妻に委ね、以後は全く自暴自棄の生活がつづき、さらに詐欺をかさねて刑務所生活を送り、昭和三〇年七月秋田刑務所を出所した。出所後別れた妻や長男を慕つて茨城県の郷里に赴いたがすげなく復縁を断られて同所を去つた後は漁夫生活やかつぎ屋などをしていたが、同年八月下旬渡道し、実父源次郎を頼つてその居住地である足寄町に赴くべく同年九月三日朝根室本線帯広駅待合室で下り列車を待合せ中、たまたま同じ列車に待合せていた農業立浪与七の妻きぬ(大正三年三月三〇日生)にマツチを借りたのが機縁となつて話しあうようになり、同駅午前八時頃の下り列車に乗車し、車中でも二人で世間話などかわしつづけるうち、被告人としては次第にきぬの容姿や態度等に心をひかれはじめただけでなく、被告人の巧みな話術につり込まれたきぬが気軽に受け答えしてくれることを自己に対して好意を寄せているものと自惚するようになり、その病身で働けないため女の労務者を雇入れたい意向のあるのを聞くにつけ「自分が適当な女を世話しよう、そのうち連絡する」などの約束までして池田駅で別れた後、同日実父方に落着いた被告人は、一時きぬのことは忘れて同月一四日までかつて働いたことのある同町の宮川孫市方に雇われて農業労務者として通勤していたところ、そこの仕事も終つて孫市の紹介で他に住込稼働することに決つたものの父やその内妻佐々木ヤスヱから夜具や炊事道具すら貸与して貰えず、とかく邪険に扱われるのにつくづくその無情をうらみ、種々煩悶したあげく、前記きぬに対する邪恋の情がにわかに募り、この際雇女を世話するという口実を設け、その前払賃金名下にこれを持参させておびき出し、口説き落して駈落しようと図るに至り、同月一六日十勝郡浦幌町の与七方を訪れ、言葉巧みに同人やきぬに対し、本別町に適当な雇女がいることや賃金は二箇月五、〇〇〇円でよいが前払して欲しいことなど虚構の事実を申向けてその旨信用させ、翌日きぬとともに女の家を訪ねることを約束させることに成功した。そこで、翌一七日右約旨に従つて出てきたきぬを池田駅ホームに迎え、二人で網走本線に乗車して足寄駅に下車し、同駅前から阿寒方面へ通ずる国道を通つて同日午前一一時三〇分頃同駅の東方約二キロの距離にある足寄川堤防用地まできぬを誘致し、同川畔においてはじめて自己の本心を打ちあけ、これまでの経歴や前科のことも一切ぶちまけて「貴女のためならどんな苦労でもするからどうか一緒に逃げて呉れ」と無暴にも執拗に駈落を迫つたところ、きぬが事の意外さに驚ろきながらもきつぱりとこれを拒絶し、到底自己の邪恋は達し得られないとみた被告人は、そのままきぬを離すこともならず、あてにしていたその所持金も得られず、自暴自棄となり、にわかにきぬを殺害してその金品をも強取してこの場を逃げようと決意をかため、突嗟に腰に下げていた日本手拭を抜きとりざまきぬの傍に赴き右手拭の端を両手で握り、向いあつたきぬの後方からその頸部に巻きつけ、顎下辺りで両拳を交叉して絞め上げ、きぬがそのため力つきて仰向けに転倒するや、なおも馬乗りとなつて渾身の力を振つて絞めつけ、ついに失神状態となつたきぬをかかえて同所川岸近くの水中に放置し、よつて右絞扼に基因して窒息死するに至らしめたうえ、きぬの所持していた現金約七、〇〇〇円およびクローム側腕時計一個(原審昭和三〇年領第一二号の八、その材料の一部取替のもの)を強取し

に変更し、その証拠挙示として、当審において取調べた証人立浪与七に対する証人尋問調書、検証調書、被告人の当審公判廷での供述を追加するほか原判決摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

さらに、累犯の加重となる前科の事実ならびにその証拠も原判決摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

法律に照すと、被告人の判示強盗殺人の所為は刑法第二四〇条後段に、原判示各所為中詐欺の点は同法第二四六条第一項に、同未遂の点は同法第二五〇条、第二四六条第一項に該当するので、強盗殺人の所為については右該当法条所定刑のうちから選択すべきところ、まず、本件記録ことに当審で取調べた証人立浪与七および同近藤源次郎に対する各証人尋問調書によつて被告人の情状を勘案するに、本体は全く被告人の常規に逸した一方的邪恋から、その甘言にのせて被害者立浪きぬをわざわざ遠路に誘致したにとどまらず、意に従わないからといつてその病弱無抵抗のうちに瞬時に白昼人なき避地において絞殺してこれを川中に放置していることはその方法たるやまことに残虐というべく、被害者の怨嗟悲痛とその逃れ得ぬ絶望感、その生命の失われたのも知らないで母を駅頭に迎えた幼き児等が失望して家路にたどる姿、妻の帰宅を焦慮して待つ夫、これらの遺族がいまなお被告人に憎みてもあまりある感情を医し得ない心情にあること、被告人の実父さえも子の罪に今更の如く憐憫の情をもち得ないでいること、かかる犯罪の社会におよぼす影響等からみると、被告人の責任は重かつ大なるものがあるといわねばならない次第ではあるが、ひるがえつて、被告人は幼少から実母とは生別し、実父には親しまれず、とかく不遇のうちに他人の間を転々とするうち、環境に負けて詐欺、窃盗の犯罪をかさねては囹圄の生活をくりかえす身となつたため、ついには、妻子をはじめ肉身の者からさえ嫌悪せられ、邪険に扱われる境遇におち入つていたおりかち、たまたま、被害者と知り合い、絶えて経験しない好感を与られたのに対し、被告人がこれに心ひかれるようになつたのも、それが無暴で全く常識はずれのこととはいいながら、被告人のような境遇にあつてみればあながち無理でもないと考えられなくもないこと。されば本件犯行が当初から計画的に強殺を意図していなかつたことや、立場に窮して突嗟の間に一旦は強殺の決意をもつて被害者を絞扼したが、その失神状態に驚き悔いて被害者の蘇生に努力した形跡がうかがえることその他諸般の事情を考え合せると、前記所定刑中無期懲役刑を選択するのを相当と認め、以上各罪は刑法第四五項前段の併合罪の関係にあるけれども、そのうちの一罪たる強盗殺人の罪につき被告人を無期懲役に処すべきをもつて、同法第四六条に従い他の刑を科さないこととし、押収してある主文掲記の腕時計一箇は判示強盗殺人の犯行による賍物に被告人において竜頭およびクローム側の取替をしたものであつて従前の物との同一性を失つているものとは認め難く、そして右物件はその被害者立浪与七に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項に従い右被害者にこれを還付し、同法第一八一条第一項但書を適用して原審ならびに当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原和雄 裁判官 羽生田利朝 裁判官 中村義正)

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